ドナウの東か、遥かもっと東から

2016年7月末よりハンガリーのブダペストで生活し、2019年8月末より東京へ。毎日が新しい発見の連続です。

カテゴリ: ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

約1年前のボスニア・ヘルツェゴヴィナ旅行で訪れたレストランについて、最近になってやっと「本宮じゅんの欧州美食探訪記」の方に書いた。やっと。



で、書いている途中、そういえばデルベンタ(Derventa)という街のドロゲリー・マルクト(dm)でノベルティにエコバッグをもらったことを思い出した。探してみたら、エコバッグをまとめていた引き出しにちゃんと入っていた。未開封のままで。

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中を開けてみたら、こんな感じだった。

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Twitter仲間のみーちょさんによると、これは「ボスニア製品を買おう!」というキャンペーンで、一定金額以上ボスニア製品を購入するとプレゼントされるものだったとのこと。確かにあの時、ボスニア製のコスメなどをいろいろとお土産に買っていた。てっきり購入金額に応じてプレゼントされたのだと思い込んでいたのだけど、国産品購入推進にも貢献していたわけか。


美しい花が描かれたデザインがこれからの季節にピッタリな気がしたので、 そろそろ使ってみることにした。日本のどこかで、この言葉が読める人に出逢えたりするかもしれないね。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォ(Sarajevo)での最後の目的地は、空港近くにある「トンネル博物館(Tunel Spasa Dobrija-Butmir)」。ホテルでチェックアウトを済ませ、そのまま車で西へと向かい、普通の住宅街を走り抜け、閑散とした狭い小路をちょっと不安になりながら進むと、その建物にたどり着いた。

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何も知らないで来ると(まあそんなことはないと思われるけど)、周囲と同じような一軒家である。が、ちゃんと壁に看板がかかっていた。


ちなみにその隣の駐車場からは、空港の施設および滑走路がそのまま見えた。

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トンネルはこの空港に隣接するDobrija地区と建物があるButmir地区までの約785.5メートルを結び、内戦下のサラエヴォ包囲時には物資の輸送に活用されたという。その後トンネルの大部分は埋められ、今はうち約25メートルが公開されている。


入場料を支払って、中へと進む。

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ここがトンネルへの入口だ。

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その前に、別のドアから展示室へと進んだ。

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軍服や武器など軍隊関連品が展示されていた。もしかしたら、当時も実際に倉庫代わりになっていたのかもしれない。


そして、いよいよトンネルの中へ。

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トンネルの中は高さ1.5〜1.8メートルで、幅は1メートルほど。身長158センチの私でも、なかなか圧迫感があった。物資を運ぶ際にはトロッコのようなものを利用していたとのことで、その線路も残っていた。


なお、外にはお土産コーナーとビデオ上映コーナーが併設された施設があった。トンネルが実際に使われていた頃の様子や内戦時の生々しい映像を観て、当時の世界に思いを馳せた。

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そのまま車は北へと向かい、途中クロアチア国境に近いデルヴェンタ(Derventa)という街にあるレストランでランチ。ここがまた今まで食べたバルカン料理の中で一番美味しかったので、そのうち「本宮じゅんの欧州美食探訪記」の方で紹介したいと思う(※時期は未定)。


初めて訪れたボスニア・ヘルツェゴヴィナ。会いたい方にもお会いできたし、一言では語れない歴史に触れることができたし、美味しい料理とビールとワインを堪能することができて、とっても充実した旅行となった。また天気の良い季節にぜひ再訪したい。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォ(Sarajevo)の市内をひと通り観光したあと、次の予定までまだちょっと時間があったので、前日にディナーでレストランの方に訪れたサラエヴォビール工場併設の博物館(Muzej Sarajevske Pivare)を見学することにした。

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ちょうど配送車が敷地内に入っていったところも見て、前日の夜は暗くてイマイチよくわからなかったのだけど、ここが本当に製産工場であることを実感した。


こちらが博物館の入口。

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そのまま歩くと、1984年サラエヴォオリンピックのマスコットキャラクターでもあるヴチュコ(Vučko)もお出迎えしてくれた。
 
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レストランでのビールや食事が付いたチケットもあったのだけど、シンプルに博物館だけの入場チケットを購入。

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館内はたった一部屋という小規模ながら、数多くの展示品がサラエヴォビールの歴史を物語っていた。

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1864年に創業し、その後紆余曲折しながらオーストリア=ハンガリー二重帝国時代には帝国内でも最大の規模のビール醸造工場として繁栄し、またまた紆余曲折しながらボスニア内戦時代も生産を止めなかったというその歴史が大変興味深かった。前日飲んだところでは、その味もスッキリしていてとても美味しかったし。
ちゃっかりショップでお土産も購入して見学終了。


帰りがけもちょうど配送車が次々と工場に戻るところで、

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その車体を見るだけでもワクワクしてしまった。


このあとちょっとだけ用事を済ませて、もう1泊。サラエヴォ、およびボスニア・ヘルツェゴヴィナの魅力に完全にハマってしまっている。

<中編>はこちら


ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォ(Sarajevo)の旧市街を歩いているうちに、突如現代的な建造物にたどり着いた。
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"BBI Center"という商業施設で、ショップエリアにはグローバルブランドのお店もかなり充実していた。オフィスエリアもあるらしく、人々が忙しく行き交っていた。


もう少し西へと進むと、あたりはすっかり新市街に。今度は外壁に特徴的なフォルムの巨大ヴィジョンを設置した高層ビルにたどり着いた。

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こちらは"SCC(Sarajevo City Center)"という商業施設で、先ほどの"BBI Center"よりも広大で、さらに洗練された雰囲気だった。そしてその近辺にも新しい建物が多く、街の様子が一気に近未来化した。


またまたテクテク歩いて、"Hotel Holiday"の建物に到着。

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かつては「ホリディ・イン」の名で営業していて、ボスニア内戦時にはここに各国のジャーナリストたちが停泊していたとのことだ。街はそれから約20年以上の歳月を経て、刻々と今の姿になっていったのだろう。


そのまま今度は北へと進み、急な坂を登り、ひときわ存在感を放っていた"Avaz Twist Tower"へ。エレベーターを35階で降りて、カフェでひとやすみ。

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窓からは先ほどまでいた新市街が一望できた。

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ちなみに、タワーの外観はこんな感じ。その名の通り、ツイストした形になっている。

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変な行き方をしてしまったので行きは写真を撮影しなかったのだけど、↑はサラエヴォ鉄道駅前の広場から撮影した写真である。


そして、駅舎はこちら↓。

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なかなか時代を感じる趣きで、最初駅舎であることに気づかなかった。せっかくなので、中に入ってみた。

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運行本数があまり多くないようで、ベンチに座る人々はみなのんびりと過ごしていた。


駅舎より外に出て、旧市街まではトラムで戻ることにした。そしたらトルコ開発機構(TIKA)のマークが入ったバスを発見。

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個人的に好きなタイプの車体だった。


そして、ほどなくしてトラムが到着。

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車体が全面ラッピング広告なので気づかなかったのだけど、中に入ると、

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やっぱりなかなか年季が入っていた。


ガタゴト激しく揺られながら、旧市街へと戻った。
(※サラエヴォ編、まだまだ続く!)

<前編>はこちら


ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォ(Sarajevo)の旧市街、ムラ・ムスタファ・バシェスキヤ通り(Mula Mustafe Beskije)を歩く。イスラム寺院が多い中、カトリックの大聖堂もあり、複数の宗教文化の共存を肌で感じた。

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街の中を走り抜けるトラム。ちょっと旧式の車体がこの街の風景にとてもよくマッチしていると思った。

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少し歩くと青空市場(Pijaca Markale)に到着。

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新鮮な野菜や果物が並び、この街で日常生活を送る人々のエネルギーが伝わってくるようだった。



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反対側には巨大な屋内市場があって、ここでは肉類や乳製品などが売られていた。

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しばらくして、「永遠の炎」(Vječna vatra)というモニュメントに到着。
 
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第二次世界大戦およびボスニア内戦時に犠牲になった人々の慰霊の碑だという。この日はとても寒かったので、何人かがその炎のそばで暖を取っていた。


その先のイスラム寺院のそばを通ると、ちょうど礼拝の時間で、ぞろぞろと人々が集まっていた。

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厳かな気持ちに包まれたところで、
<後編>に続く!


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