ドナウの東か、遥かもっと東から

2016年7月末よりハンガリーのブダペストで生活し、2019年8月末より東京へ。毎日が新しい発見の連続です。

カテゴリ: 【2017年夏休みの旅行】

2017年夏休みの旅行は、一旦ブダペストに戻ってきて前編は修了。途中エステルゴム(Esztergom)にも立ち寄ったのだけど、戻ってきた一番の目的は「ブダペスト・ワインフェスティバル(Budapest Borfesztivál)」だ。去年に引き続き、訪れるのは今回が3度目。





今年から前売り限定で特別デザインのグラス付きのチケットがあったので、迷わずそれを購入していた。通常より少し大きめで、首から下げるグラスホルダーもエンジ色でどことなく高級感があった。
 



まずは「SAUSKA」というワイナリーの白ワイン。

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心配だったお天気も、なんとかもった感じだ。

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「TÖRLEY」のブースでは甘口のスパークリングワインを。

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その後「HUNGARIA」の辛口スパークリングワインを堪能。


そろそろ赤ワインが飲みたくなってきたので、「LAJVÉR」のブースに行ってさっそく1杯。

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その後も数杯飲みながら、最後にたどり着いたのは、「MÉSZÁROS PÁL」

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なるべく写真を撮るようにしていたのだけど、いったい全部で何杯飲んだのかは自分でもよく憶えていない。まあ、そんなこんなでたっぷり満喫してしまった。


今回は旅の途中だったので1日だけになったけれど、来年こそは4日連続で訪れながら、ゆっくり愉しみたい。

フェルテーラーコシュ(Fertőrákos)の採石場を訪れた後は、今回の旅の第7の目的地、オーストリアとハンガリーの国境に近い街ショプロン(Sopron)へ。いつも近くまでは通っていたのだけど中心地に行く機会がなくて、初めての訪問となった。


ペテーフィ劇場(Petőfi színház)の建物からスタート。

ちなみにテラスに立っている男女は、よく見たらマネキンだった。


火の見塔(Tűztorony)のある中央広場(Fő tér)へ。


塔の上まで登れるらしいのだけど、体力の限界によりスキップ。


広場の反対側にはもうひとつの街のシンボル的存在、山羊教会(Kecske templom)


お天気とうこともいり、とてもゆったりとした時間が流れていた。


少し歩いて新シナゴーグ(Zsinagóga)の建物へ。


中では第二次世界大戦時にこの地域に住んでいて、その後虐殺されたユダヤ人たちの追悼展示が開催されていた。


その反対側には旧シナゴーグ(Ó-Zsinagóga)


礼拝堂は通りに面していなくて、少し奥まったところにある。


振り返ると趣深い路地の眺め。



この街で気になったのが、通りや広場の表示がハンガリー語とドイツ語の二ヶ国語表記になっていることだ。


第一次世界大戦後、1921年の住民投票によりオーストリアではなくハンガリーに帰属が決定したとのこと。国境からわずか6キロほどなので、普通に両国の行き来は行われているのだろう。


もうひとつ気になったのが、歯医者の数。


ほとんどの歯医者が二ヶ国語表記だった。しかもドイツ語がメイン。前にハンガリー人の友人に聞いたのだが、ハンガリーの歯医者は近隣諸国と比較して安く、クオリティも高いため、近隣諸国から診療ツアーに来る人々も多いらしい。


街の途中で石畳の舗装工事を見かけた。


1個1個敷き詰めていくのかな? 私がやったら途中で間違えてしまいそうだ。


旅はまだまだ続く。

今回の旅の第6の目的地は、オーストリアとハンガリーの国境に近いフェルテーラーコシュ(Fertőrákos)の採石場
2015年にリニューアルオープンしたばかりで、前よりも見どころが増えたと聞いた。


 

この採石場は古くはローマ時代から、なんと1948年まで使われていたという。ここから切って運び込まれた石で、街と建物が建設されていた。




順路に従って進むと、施設のてっぺんから遠くにフェルテー湖(Fertő-tó)が見える。国境にまたがるこの湖には野生の渡り鳥も多く生息。周辺も含めての文化的景観により、ユネスコ世界遺産「文化遺産」として登録されている。



順路に進んで採石後洞窟のようになっている中へ。


太古の時代はこの辺りまでだったようで、化石なども展示されていた。




敷地内には、半野外のコンサートホールも併設。


ここで演奏される音楽は、それはそれは素晴らしい響きとなるんだろうなぁ。一度は聴いてみたい。

グムンデン(Gmunden)ミュンヘン(München)ザルツブルク(Salzburg)ウィーン(Wien)と訪れ、次なる目的地はオーストリアとハンガリーとの国境にある汎ヨーロッパ・ピクニック記念公園(Páneurópai Piknik Emlékhely)




1989年8月19日、この地より約600人の東ドイツ人たちが国境を越えて西側へと亡命し、その後ベルリンの壁崩壊へと繋がる歴史的事件が起こった場所だ。



敷地内には監視塔や、


鉄条網などが再現されている。



今ではこの一本道を歩くだけで普通にオーストリアとハンガリーとを行き来できるのだが、


いつのまにか、ハンガリーからオーストリアへの方向だけ検問所が設置されていて、オーストリアの警察官が取り締まっていた(※オーストリアからハンガリーへと向かう道には検問所はない)。


2015年9月に訪れた時にはなかったはずなのだけど、やはりその後の難民・移民危機の影響なのかな。

グムンデン(Gmunden)では曇り時々小雨、ミュンヘン(München)ではほとんど雨、ザルツブルク(Salzburg)では雨時々豪雨と、あいにくのお天気が続いていたのだけど、第4の目的地ウィーン(Wien)は今までと打って変わって朝から良いお天気。






「ウィーン市民の胃袋」ともいわれるナッシュマルクト(Naschmarkt)に到着。



広大な敷地には約120もの店舗、レストラン、バーなどが軒を並べているという。世界各国の食品が集まり、国際的な雰囲気で賑わっていた。



途中、ロシア料理屋さんでビールタイム。バドワイザーの生ビールが身に染みわたる美味しさだった。


写真撮ったらパトカーが写り込んでいて、なんだか不思議な組み合わせの1枚に。


ひたすら歩いてウィーン国立オペラ(Wiener Staatsoper)の建物を見ながら、ケルントナー通り(Kärntner Straße)を歩いた。


なかなか趣深いデザインのトラムにも出逢えた。



この後「フィグルミュラー(Figlmüller)」ランチ。ウィーンに来たからにはあの大きなシュニッツェル(Schnitzel)を堪能しなくちゃね。

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