自宅を整理していたら、収納の奥の方からなんとも年季の入った紙の箱を発掘した。
箱の表には"Made in Czechoslovakia"のスタンプ、そして"April 3, 1970 CZECHOSLOVÁK NATIONAL DAY Regards Karla"と記載されていた。
どうやら1970年4月3日のチェコスロヴァキアのナショナルデーに、Karlaさんから贈られたものなのかもしくはただサインをいただいただけなのか、ということらしい。
(※ちなみに最初見た時よくわからず、Twitterのフォロワーさんからの情報提供でここまで明らかになったのだった。)
私が生まれるずっと前のことだし、どういう経緯でここにあったのかを家族に訊いてみたところ、亡き親戚が1970年に大阪万博に行った際に、チェコスロヴァキアのパビリオンで入手したものらしい。
箱を開けると見事なパール調のネックレス。
これに合わせる服を持っていないのが、残念なところだ。
もう1つ、スプーン型のオブジェも見つけた。
こちらもメイド・イン・チェコスロヴァキア。おそらく先ほどのパール調ネックレスと同時に、亡き親戚によって持ち帰られたものだと思われる。
スプーンに描かれているのは、どこの街なのだろう?と思っていたら、
なんのことはない、プラハなのだと、こちらに関してもTwitterのフォロワーさんに教えてもらった。
ちなみに私がプラハを最後に訪れたのは、今から20年以上も前の2000年のこと。
もちろんカレル橋やプラハ城の記憶はあるが、この絵に描かれているような景色を見たわけではないので、最初のうちはピンと来なかった。
2000年当時の私はドイツのライプツィヒに留学中で、ドイツの別の街に留学中の日本人の友人と一緒に、プラハまでの電車の旅を楽しんでいた。
カレル橋の上で写真を撮ろうとしたら、近くを通りがかった男性が「写真撮ってあげましょうか?」と話しかけてきて、自分たち以外の久しぶりの日本語にビックリしていたら、彼は世界一周の旅の途中で、その日にチェコに着いたばかりの日本人とのことだった。
そのまま3人で数時間ほどトロッコみたいな小さな路面電車に乗って市内観光をして、夕暮れ前に連絡先も交換せずに「じゃあね」と手を振って別れた。
ふと、そんなことを思い出した。
一緒に旅行した友人とは今でも親交が続いているが、あの男性は今どうしているだろうか?
もしかしたら、どこかでニアミスしているのかもしれない。
箱の表には"Made in Czechoslovakia"のスタンプ、そして"April 3, 1970 CZECHOSLOVÁK NATIONAL DAY Regards Karla"と記載されていた。
どうやら1970年4月3日のチェコスロヴァキアのナショナルデーに、Karlaさんから贈られたものなのかもしくはただサインをいただいただけなのか、ということらしい。
(※ちなみに最初見た時よくわからず、Twitterのフォロワーさんからの情報提供でここまで明らかになったのだった。)
私が生まれるずっと前のことだし、どういう経緯でここにあったのかを家族に訊いてみたところ、亡き親戚が1970年に大阪万博に行った際に、チェコスロヴァキアのパビリオンで入手したものらしい。
箱を開けると見事なパール調のネックレス。
これに合わせる服を持っていないのが、残念なところだ。
もう1つ、スプーン型のオブジェも見つけた。
こちらもメイド・イン・チェコスロヴァキア。おそらく先ほどのパール調ネックレスと同時に、亡き親戚によって持ち帰られたものだと思われる。
スプーンに描かれているのは、どこの街なのだろう?と思っていたら、
なんのことはない、プラハなのだと、こちらに関してもTwitterのフォロワーさんに教えてもらった。
ちなみに私がプラハを最後に訪れたのは、今から20年以上も前の2000年のこと。
もちろんカレル橋やプラハ城の記憶はあるが、この絵に描かれているような景色を見たわけではないので、最初のうちはピンと来なかった。
2000年当時の私はドイツのライプツィヒに留学中で、ドイツの別の街に留学中の日本人の友人と一緒に、プラハまでの電車の旅を楽しんでいた。
カレル橋の上で写真を撮ろうとしたら、近くを通りがかった男性が「写真撮ってあげましょうか?」と話しかけてきて、自分たち以外の久しぶりの日本語にビックリしていたら、彼は世界一周の旅の途中で、その日にチェコに着いたばかりの日本人とのことだった。
そのまま3人で数時間ほどトロッコみたいな小さな路面電車に乗って市内観光をして、夕暮れ前に連絡先も交換せずに「じゃあね」と手を振って別れた。
ふと、そんなことを思い出した。
一緒に旅行した友人とは今でも親交が続いているが、あの男性は今どうしているだろうか?
もしかしたら、どこかでニアミスしているのかもしれない。