ドナウの東か、遥かもっと東から

2016年7月末よりハンガリーのブダペストで生活し、2019年8月末より東京へ。毎日が新しい発見の連続です。

カテゴリ: スロヴァキア

自宅を整理していたら、収納の奥の方からなんとも年季の入った紙の箱を発掘した。

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箱の表には"Made in Czechoslovakia"のスタンプ、そして"April 3, 1970 CZECHOSLOVÁK NATIONAL DAY Regards Karla"と記載されていた。
どうやら1970年4月3日のチェコスロヴァキアのナショナルデーに、Karlaさんから贈られたものなのかもしくはただサインをいただいただけなのか、ということらしい。
(※ちなみに最初見た時よくわからず、Twitterのフォロワーさんからの情報提供でここまで明らかになったのだった。)

私が生まれるずっと前のことだし、どういう経緯でここにあったのかを家族に訊いてみたところ、亡き親戚が1970年に大阪万博に行った際に、チェコスロヴァキアのパビリオンで入手したものらしい。

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箱を開けると見事なパール調のネックレス。
これに合わせる服を持っていないのが、残念なところだ。

もう1つ、スプーン型のオブジェも見つけた。

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こちらもメイド・イン・チェコスロヴァキア。おそらく先ほどのパール調ネックレスと同時に、亡き親戚によって持ち帰られたものだと思われる。

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スプーンに描かれているのは、どこの街なのだろう?と思っていたら、

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なんのことはない、プラハなのだと、こちらに関してもTwitterのフォロワーさんに教えてもらった。

ちなみに私がプラハを最後に訪れたのは、今から20年以上も前の2000年のこと。 
もちろんカレル橋プラハ城の記憶はあるが、この絵に描かれているような景色を見たわけではないので、最初のうちはピンと来なかった。

2000年当時の私はドイツのライプツィヒに留学中で、ドイツの別の街に留学中の日本人の友人と一緒に、プラハまでの電車の旅を楽しんでいた。
カレル橋の上で写真を撮ろうとしたら、近くを通りがかった男性が「写真撮ってあげましょうか?」と話しかけてきて、自分たち以外の久しぶりの日本語にビックリしていたら、彼は世界一周の旅の途中で、その日にチェコに着いたばかりの日本人とのことだった。
そのまま3人で数時間ほどトロッコみたいな小さな路面電車に乗って市内観光をして、夕暮れ前に連絡先も交換せずに「じゃあね」と手を振って別れた。
ふと、そんなことを思い出した。
一緒に旅行した友人とは今でも親交が続いているが、あの男性は今どうしているだろうか?
もしかしたら、どこかでニアミスしているのかもしれない。

思うことがあって、4月から週1回スロヴァキア語を学び始めることにした。
スロヴァキアにはブダペストに住んでいた頃に何度か訪れたことがあったのだけど、スロヴァキア語といえば「Dobrý deň!(こんにちは)」「Ďakujem!(ありがとう)」「Dovidenia!(さようなら)」くらいしか口にしたことがない。
ハンガリーのお隣の国とはいえ、言語には大きな違いがあり、それ以上は覚えることができなかった。


まずはどのようにして学ぼうかと考えていたところ、一昨年のスロバキア大使館のイベントで知り合った日本チェコ協会/日本スロバキア協会の方とちょうどやり取りする機会があり、協会の公式ホームページで語学講座の存在を知って、速攻で申し込んだのだった。
学び始めてみると、名詞に性があったり、性ごとに格変化したり、意外にハンガリー語と同じ/似た単語もあったり、いろいろと興味深い特徴が多いことに気づいた。

ところで先日、協会のイベントがあって、約1年半ぶりにスロバキア大使館を訪れた。

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蒸留酒やワインなどアルコールも豊富にお出迎えしてくれたのだけど、残念ながらこの後に車を運転する用事があったので断念。

語学講座の生徒として、大使や協会の皆様の前でスロヴァキア語で挨拶をする機会もいただいた。

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・・・たった4行しか用意しなかった上に直前までカンニングペーパーを手に暗記していたのに、最後はやはりつっかえてしまった。次回もしチャンスがあったらもっと長い文章で話したい。

会場ではスロヴァキアの伝統焼き菓子や、

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お祝いの機会の料理でもあるというポテトサラダなどのお料理がずらりと並べられていた。

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(※写真撮り損ねたけど、シュニッツェルやお寿司などもしっかりご馳走になった。)

民族歌謡民族舞踊のお披露目もあって、すっかりスロヴァキア気分を満喫した。

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(※↑この民族舞踊がかなり本格的で圧倒された。)


スロヴァキア語学習のゴールとしては、「スロヴァキア語の文章を辞書を使いながら読めるようになること」
機械翻訳があるとはいえ、その翻訳が正しいのかどうかを見極められるレベルくらいにはなりたいと思っている。
これから何年かかるかわからないけれども、続けられるだけ続けてみることにしている。

大学を卒業して社会人になってからずっと、何かメモを取る時は専らボールペンを使っていたのだけど、本や書類への書き込みなど、後で消す可能性のあるメモに関しては、いつのまにか鉛筆を使うようになっていた。

大人になってからも鉛筆を使うなんて、もしかしたら昭和の人間だからということもあるのかもしれないのだけれども、筆圧が強いのでシャープペンシルだと消しても跡が残りやすいのだ。鉛筆ならその心配もない。それに自宅の作業部屋の机には、そらく昭和時代から活躍している電動鉛筆削り機が置いてあるし、引き出しの中にもかつて家族が購入したとおぼしき鉛筆が何本も未使用のまま眠っているのだ。

この日は今まで使っていた鉛筆がだいぶ短くなってしまったので、新しいものを取り出して手に取ってみたところ、軽い違和感をおぼえたのだった。

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写真だとうまく伝わりにくいが、軸が八角形なのだ。それまで使っていたのはだったり六角形のものが多かったのだが、八角形は初めてだった。

さらにさらに、よく見てみると、"CZECHOSLOVAKIA"の文字が。

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えええ!? キミ、チェコスロバキアからやってきたの?? いつ? なんで??
見た目が完全に新品だったので、それまでも全然気が付かなかった。

なんだかもったいないので大切に保管することにして、代わりに湯島天神の鉛筆を取り出したのだった。

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こっちは軸が四角形。こうして見ると、鉛筆っていろいろな軸の形があるのね。
まずは「日日の努力。」 電動鉛筆削り機に挿し込んだ。


1989年11月17日、チェコスロバキア社会主義共和国時代に民主化を求めて学生たちが立ち上がった、「ビロード革命」と呼ばれるその革命から30周年を記念したカクテルパーティーに出席すべく、駐日スロヴァキア大使館へ。

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会場では、スロヴァキア産ワインをはじめ、たくさんの名物料理がお出迎え。

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ポテトサラダはクリスマスシーズンに食べる料理だと聞いた。

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軽食とデザートにはひと口サイズのお菓子も。

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スロヴァキアの文化と歴史に触れる、とても素敵なひと時だった。

日本から来てくれた友人を連れて、ブダペストより北西に約40km、スロヴァキアとの国境付近の街エステルゴム(Esztergom)へ。私自身は6月にも訪れたばかりだったのだけど、徒歩で外国に行けるという島国に住んでいるとなかなか貴重な体験を、ぜひ友人にも楽しんでもらいたかったのだ。


まずは丘の上にそびえる、ハンガリー・カトリック教会の総本山である大聖堂へ。

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そして今回も、大聖堂の裏手からドナウ川にかかるマーリア・ヴァレーリア橋(Mária Valéria híd)と、その対岸スロヴァキアのシュトゥーロヴォ(Štúrovo)の街並みの景色を眺めてから、

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橋の上を歩いているうちに、スロヴァキアの国内に到達。

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ちなみに↑の写真の反対側からの眺めがこちら。

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ここからも、向こうに大聖堂がくっきり見える。


さらに歩いて、ドナウ川対岸にあるスロヴァキアのシュトゥーロヴォ(Štúrovo)へ。

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今更ながら、ハンガリー語では「パールカーニ(Párkány)」という名前であることに気づいた。それぞれの地名の語源がかなり気になったりした。


マーリア・ヴァレーリア橋(Mária Valéria híd)を渡りきったところで改めて大聖堂を撮影。

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ドナウ川の向こうに望んでも、やはり迫力がある。


せっかくなので、スーパー「BILLA」で、スロヴァキアのビールをひと通りお土産に買ってきた。

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何度訪れても、スロヴァキアなのにみんなハンガリー語を話しているという状況がとっても興味深い。

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