ドナウの東か、遥かもっと東から

2016年7月末よりハンガリーのブダペストで生活し、2019年8月末より東京へ。毎日が新しい発見の連続です。

カテゴリ: ウクライナ

ウクライナ・ザカルパッチャ州の街ベレホヴェ(Берегове)。中心地に入る前に立ち寄った「シャトー・チザイ(Chateau Chizay)」というワイナリー直営のレストラン「チザイ・マラ・ホラ(Мала Гора)」で、ワイン醸造所兼ショップの位置を聞いていたので、滞在先のウジホロド(Ужгород)への帰りがけにさっそく立ち寄ることにした。

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ショップスペースの中に入ると、伝統的なワイン製造器具が数多くディスプレイされていて、なかなか雰囲気ある空間だった。

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そして、棚にはさまざまな種類のワインがずらり。テイスティングもできたので、少しずつ嗜みながらお土産を選んだ。

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建物の後ろには広々とした醸造所になっていた。見学ツアーもできるようだったが、残念ながら時間外だった。

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ところで、その近くには「シルバーランド(SILVERLAND)」というスーパーマーケットがあったので、こちらでもいろいろとお土産を買うことにした。

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このお店、主にザカルパッチャ州で展開しているようで、ロゴの配色がなんとなくハンガリー国旗カラー。オーナーがハンガリー系なのかもしれない。ただ、店内はああ、これがウクライナのスーパーなんだという雰囲気で、いろいろと衝撃を受けた。この衝撃、言葉でうまく表現できなくてとても残念なのだけど、ウクライナという国およびザカルパッチャ州という地域での日常生活を感じるきっかけとなった。ちなみにレジのスタッフにウクライナ語とハンガリー語で挨拶してみたら、ハンガリー語で返事をしてくれて、ちょっと和んだ。


ウジホロド(Ужгород)に向かう途中、ムカチェヴォ(Мукачево)も通過。前日もこの道を走ったのだけど、とても幹線道路とは思えないほどの悪路だった。

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ぬかるみの中を激しくアップダウンしながら、ゆっくり車を進めた。

<前編> <中編>はこちら


ウクライナ・ザカルパッチャ州第5の都市ベレホヴェ(Берегове)の中心地。ペテーフィ・シャーンドル(Petőfi Sándor)のプレートを見つけた英雄広場(Hősök tere)は、大きな公園となっていて、ミストシャワーも設置されていた。

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その前の道は歩行者専用になっていて、少し歩くと巨大な建物に行き着いた。

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この巨大な建物は、ラーコーツィ・フェレンツ2世ザカルパッチャ州ハンガリー単科大学(II. Rákóczi Ferenc Kárpátaljai Magyar Főiskola)の建物だった。多くのハンガリー系学生が通っているようだ。そして、外壁には1848年のハンガリー革命時に活躍した政治家コッシュート・ラヨシュ(Kossuth Lajos)の記念プレートがあった。

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建物の修復には、ハンガリー政府が費用を出資したことも知った。


再びた英雄広場(Hősök tere)に戻って少しお散歩。

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広場の端には、チェルノブイリの犠牲者追悼碑

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この街周辺の地域でも数多くの人々が犠牲者となったそうだ。


駐車場に戻ると、小川の反対側に医科大学の建物が見えた。

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こちらは外壁を見るにウクライナ語表記のみだった。


少し名残り惜しいけれど、そろそろ滞在先のウジホロド(Ужгород)に向けて出発。ワインを買いに 「シャトー・チザイ(Chateau Chizay)」のショップにも寄っていかないと。

<前編>はこちら


引き続き、ウクライナ・ザカルパッチャ州第5の都市ベレホヴェ(Берегове)の中心地を探索。ところで、前にペテーフィ・シャーンドル(Petőfi Sándor)の銅像があるこのレストラン兼ホテルが入った建物は、反対側から見たらなかなか大きなつくりになっているのに気づいた。

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かつてはカジノとして使われていたらしい。


そのまま通りを進むと、右手にカトリック教会があり、さらに進むと道路が分岐している場所に白く美しい女性像を発見。

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赤ちゃんを抱きかかえているので、おそらく聖母マリア像だと思われるが、残念ながらGoogleマップには載っていなかった。


歩いている途中、長距離バスの広告を発見。

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片道か往復かはわからなかったのだけど、ブダペストまで往復1,400フリヴニャ=約6,100円。そう考えるとやはり往復の価格かな。


郵便局の前にハンガリー国旗カラーのリースがたくさん飾られているプレートを見つけたので近付いてみたら、

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ハンガリー国歌「ヒムヌス(Himnusz)」の作詞者でもある詩人ケルチェイ・フェレンツ(Kölcsey Ferenc)のものだった。


ところで、ハンガリー国旗カラーのリースが飾られている人物はてっきりみんなハンガリー系だと思い込んでいたのだけど、

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こちらはウクライナ出身の画家兼詩人、タラス・シェフチェンコ(Tapac Шевченко)の銅像だった。確かによく見ると、ウクライナ国旗カラーのリースも添えられていた。ウクライナの人々に大変愛されているようだ。


この街にも「英雄広場(Hősök tere)」を見つけた。 ここに設置されているプレートには、ペテーフィ・シャーンドル(Petőfi Sándor)

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1847年7月12日〜13日に、この建物に滞在したそうだ。


決して大きな街ではないが、こうして歩いていると見どころは結構あった。
<後編>に続く!

はウクライナ・ザカルパッチャ州第5の都市ベレホヴェ(Берегове)の中心地へ。ところでウジホロド(Ужгород)でもだけど、この旅の途中いろんなところで最高会議選挙に向けての候補者たちのプラカードを見かけた。

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その中で、ハンガリー語が記載されていたり、ハンガリー国旗カラーがモチーフになっている候補者は、やはりハンガリー系なのかな?って思ったり。

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そんなこんなで街の中心地に到着。ホテル兼レストラン「ゾロタ・パヴァ(Золота Пава)」でランチタイムにした。建物前には1848年のハンガリー革命時に活躍した詩人ペテーフィ・シャーンドル(Petőfi Sándor)の銅像があった。

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通りや広場の名前はウクライナ語とハンガリー語の2ヶ国語表記。こちらは「ラーコーツィ・フェレンツ2世広場」だ。

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ちなみに街の名前はハンガリー語で「ベレグサース(Beregszász)」という。大半をハンガリー系住民が占め、ハンガリー領事館も置かれている。


すぐそばにはエセ・タマーシュ(Esze Tamás)という人物の胸像。18世紀の初め、ハプスブルグ帝国の支配からの独立のために立ち上がったラーコーツィ・フェレンツ二世(Ⅱ. Rákóczi Ferenc)が率いた、「クルツ(Kuruc)」という反乱軍を当初指導していた人物だ。

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少し歩くと、カトリック教会が堂々と佇んでいた。

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近付いて見ると、エントランスにはハンガリーの国旗。そしてそれを眺めるように胸像が設置されていた。

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ハンガリー国旗カラーのリボンが付けられたリースがあるので、すぐにハンガリー系の人物だとわかった。王冠の上に斜めになった十字架が見えたので、もしやと思ったら、

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「ハンガリーの建国」の父とも称される、聖イシュトヴァーンの胸像だった。


目にする文字は二ヶ国語表記だけれど、耳にする言葉のほとんどはハンガリー語。なんだかハンガリーの地方都市をしている気分になった。まあ、約100年前までは実際その通りだったわけなのだけど。


<中編>に続く!

ベネ(Бене)を後にして、いよいよザカルパッチャ州第5の都市ベレホヴェ(Берегове)へ。街に差し掛かる前に大きな美しい建物が見えたので地図で確認したところ、それは「シャトー・チザイ(Chateau Chizay)」というワイナリー直営のレストラン「チザイ・マラ・ホラ(Мала Гора)」だった。

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ウジホロド城(Ужгородський замок)で試飲したワインが美味しかったことを思い出し、中に入ってみることにした。

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お昼の時間にはちょっと早かったからなのか、先客が帰ってからはほぼ貸し切り状態だった。

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ゴージャスながらもとても洗練された内装で、メニューの価格帯を見てもこの辺りでは高級店の部類に属していることが伺えた。英語メニューもあったので、私たちのような外国人旅行客も訪れるのだろう。


車の運転は友人に委ね(最初からだったけど)、まずは白ワイン

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ちなみに後ろに写っている緑のボトルは友人が飲んだミネラルウォーターである。スタッフによると、ベレホヴェの街の反対側にワイナリー兼ショップがあるとのことだったので、お土産はそこで買うことにして私は次の赤ワインへ。

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そう、窓の外にはぶどう畑が広がっていた。店名の「マラ・ホラ(Мала Гора)」とは「小さな山」のこと。この小さな山全体が広大なぶどう畑となっているのだ。

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ちなみにレストランの敷地の一部には、ハンガリー征服定住の記念碑(Honfoglalási emlékmű)が設置されていた。

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記念碑を取り囲むように設置されている7本の木の塔は、ハンガリー征服定住の際にアールパードとともにやってきた7部族の首長がモチーフとなっていた。


そして記念碑にはハンガリー語とウクライナ語が刻まれていた。

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この「小さな山」で1890年の4月、ハンガリー制服定住の時代の騎手の墓が発掘され、そこからハンガリー国立博物館が所蔵しているユニークなベレホヴェ(Берегове)の帽子が見つかった、と書いてあった。そして記念碑は2016年に設置されたそうだ。ということは、ブダペストでその帽子が見れるということか。


車に戻るとハンガリー系とおぼしき男性従業員がいたので、思い切って話しかけてみたらやはりそうだった。そして彼の話によると、どことなくこのワイナリーのオーナーはハンガリー系なのでないかという予感も的中していた。一度アメリカに渡ってウクライナに戻り、ワイナリーをオープンしたそうだ。そのルーツにもかなり興味をおぼえつつ、ベレホヴェ(Берегове)の中心地へと向かった。

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