ブダペストから東京に引っ越してからもうすぐ4年となるのにまだまだ荷物を片付け切れていない、という話を先日したばかりなのだが。
向こうで入手した紙袋も捨てられない。
よく、片付けられない人の家には大量の紙袋があると聞くけれど、私も他人のことを笑っていられない。
でも、もう二度と入手できないかもしれないって思うと、なんとなく捨てられないのだ。
写真一番左のフィンランド大使館の紙袋、その隣のパーズマーニ・ペーテル・カトリック大学(Pázmány Péter Katolikus Egyetem)の紙袋、パーリンカメーカーのシチェク(Szicsek)の紙袋、ヘレンド(Herend)の紙袋などは知人・友人の手土産が入っていたもので、ドレヘル(Dreher)の紙袋はビール工場を見学した時のものだったりと、入手経路はさまざまだ。
いずれにしても、これらの紙袋もまさかはるばる日本にまでやってくることになろうとは、予期していなかったことだろう。
そう考えると、ますます捨てられないのだ。
※追記
写真真ん中のティサ(Tisza)の紙袋は、取っ手の紐が切れてしまったので、後日古紙回収用の紙袋としての使命を全うした。
ほかの紙袋は再び自宅の押し入れの中で眠りについた。
向こうで入手した紙袋も捨てられない。
よく、片付けられない人の家には大量の紙袋があると聞くけれど、私も他人のことを笑っていられない。
でも、もう二度と入手できないかもしれないって思うと、なんとなく捨てられないのだ。
写真一番左のフィンランド大使館の紙袋、その隣のパーズマーニ・ペーテル・カトリック大学(Pázmány Péter Katolikus Egyetem)の紙袋、パーリンカメーカーのシチェク(Szicsek)の紙袋、ヘレンド(Herend)の紙袋などは知人・友人の手土産が入っていたもので、ドレヘル(Dreher)の紙袋はビール工場を見学した時のものだったりと、入手経路はさまざまだ。
いずれにしても、これらの紙袋もまさかはるばる日本にまでやってくることになろうとは、予期していなかったことだろう。
そう考えると、ますます捨てられないのだ。
※追記
写真真ん中のティサ(Tisza)の紙袋は、取っ手の紐が切れてしまったので、後日古紙回収用の紙袋としての使命を全うした。
ほかの紙袋は再び自宅の押し入れの中で眠りについた。