明日、というかあと2時間後に誕生日を迎える。


振り返ってみるといつからか、毎年3月の初めくらいからそわそわと、この日を迎える準備に悩まされていた。
また、年を取る。気分はまだまだ若いつもりでも、肉体は確実に「老い」に向かっている。目を背けたくなるその現実をしっかり受け止めるために、約1ヶ月は必要な時間だった。あまりに意識しすぎて、何かの申し込み用紙などの年齢欄にうっかり次の年齢を書いてしまうこともあったくらいだ。


心の準備にもだが、誕生日当日をどう過ごすかにも悩まされていた。特に夜の過ごし方。
「アラサー」と称される年齢になってからは、土日に当たらない年は有休を取るようになった。日中はひとりで買い物に出かけたりして自由に過ごした。夜は仲の良い友人とオシャレなレストランで食事をしたり、同じ誕生日の友人と合同でパーティーを開いたり、恋人が祝ってくれた年もあった(ちなみに多かった順に書いている)。
「誕生日は特別な日」という固定観念にどっぷり浸かっていた。どうにかして「特別な日」で締めくくりたかったから、夜は無理矢理に予定を作った。ひとりで過ごすのは寂しすぎると思い込んでいた。


けれども誕生日が過ぎてしまえば、「また、年を取った」という現実を不思議なくらいすんなりと受け止められている。別に新しい気分になったわけではない。何かが変わったとすれば、誕生日前にしつこく悩まされていた諸々から解放されたということだけだ。




と、いうのが去年までの話だった。
今年はいろいろと事情が変わったのだ。


年末年始を慌ただしく過ごしたまま、ひとり暮らしをしていた街から生まれ育った街に引越し、その翌週には遠く離れたハンガリーのブダペストにいた。そして4週間の滞在を終えて一旦帰国してから、1ヶ月になる。
帰国してすぐに職場にも復帰し、夏以降の生活に向けての準備に追われているまま、気づくと今日を迎えていた。
しかも、4週間も有休を取った上に、三連休中に生牡蠣にあたって直後の2日間病欠してしまったせいで、明日の誕生日は出勤の予定だ。


「また、年を取る」ということ、「誕生日は特別な日」にしなければならないということ、どちらもすっかり気にかけていなかった。毎年恒例の不安定な時期がやってこなかった。
それもこれも、明日誕生日を迎える以上に大きな人生のターニングポイントをもうじき控えているからなのかもしれない。


今年の夏、ブダペストに引越し、新しい生活を始める。 
でも、一時帰国などで(今も気持ちはそうなのだけど)東京の生活を終えたわけではない。
向こうでの生活が本格的に始まる前に、明日年を取る前に、


このブログを始めることにした。