ドナウの東か、遥かもっと東から

2016年7月末よりハンガリーのブダペストで生活し、2019年8月末より東京へ。毎日が新しい発見の連続です。

2019年06月

独特の柔らかいデザインが特徴の刺繍が有名でもある、ハンガリー南部ホードメゼーヴァーシャールヘイ(Hódmezővásárhely)を訪れた。なかなか長すぎるこの街の名前、「ホード(hód)=ビーバー」「メゼー(mező)=草原」「ヴァーシャールヘイ(vásárhely)=市場の場所」と、ひとつひとつの単語の区切りで見ると、大変理解しやすい。名前も長いことながらこの街、なんとその「広さ」についてはハンガリーでブダペストに次ぐ第2位の規模だと知った。


この街を訪れた目的は、街の中心地にある「エムレークポント(Emlékpont)」

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この博物館ではハンガリー、特にこの街における第一次世界大戦後および共産主義時代の歴史に関して展示されている。入口に入る前に、なかなか衝撃的な光景の中庭を目にしてしまった。

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チケットを購入し、博物館内部へ。

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途中の展示で、この街が1919年から1920年の間、ルーマニアに占領されていたことを初めて知った。

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暗い歴史の展示が並ぶ中、共産主義時代のスポーツビュッフェを再現した空間も。

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そして地下に降りると、中庭の像たちの下半分があった。

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特別展の方では、共産主義時代のプラカードが展示されていた。

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最近はこのように「第一次世界大戦以降のハンガリー」をテーマに知見を集めている。まだまだ知らないことばかりだ。

ブダペスト地下鉄2号線を始め、トラムやバスの数多くの路線が交差するセール・カールマーン広場(Széll Kálmán tér)。ずっと工事中の部分があって、いつもなんだろう?って思っていたのだけど、先日通りかかったら、銅像が完成していた。

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それもこの広場の名前の由来となった、オーストリア=ハンガリー二重帝国時代のハンガリー首相セール・カールマーン(Széll Kálmán tér)の銅像だった。


完成したばかりだからか、 通りかかる人々が足を止めてじっくり見ていた。私がブダペストおよびハンガリーに来たばかりの頃は大工事中で、さらにそれより数年前まで「モスクワ広場」という名称だったこの広場。まだまだ目まぐるしく変化しそうだ。

最近のブダペストは、まだ6月とは思えないくらい暑い日々が続いている。このまま7月・8月となったらもっと暑くなってしまうのかと想像すると、乗り越えられる自信がまったく生まれてこない。直射日光に当たらずに風に当たっている分にはとても過ごしやすいので、このまま引きこもりになってしまいそうな勢いだ。


この日図書館に向かう途中も、気温35℃とまさに酷暑だった。大学広場(Egyetem tér)に設置されているミストシャワーを浴びてこようと歩いていたら、その近くで水道局のスタッフたちが飲用水パックを無料配布していた。

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氷水を張った容器でキンキンに冷やされたパックを手にしただけで、体感温度がぐっと下がった。本当に、こういう心遣いがとても嬉しかった。


黒い髪だとジリジリと頭皮まで焼きついてしまいそうな夏の太陽。帽子もだけどサンダルも既に必須アイテムと化している。

ハンガリー北部郊のエステルゴム(Esztergom)に行った時、ドナウ川の対岸のスロヴァキアの街シュトゥーロヴォ(Štúrovo)のスーパーで見つけて買ってきたチーズ。

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右下に「伝統的なスロヴァキアのスペシャリティ」と記載されているし、右上の方にスロヴァキア国旗をイメージしたロゴがあるのだけど、このパッケージデザインがどうしてもハンガリーの国旗をイメージしてしまうのは、私だけではないはず。


ちなみにスーパーの中で見る文字はほとんどすべてスロヴァキア語だったのだけど、店員さんからは普通にハンガリー語で話しかけられた。それもとっても不思議だった。

ハンガリー国内に留学中の日本人の友人がブダペストに遊びに来てくれたので、ちょっと足を伸ばして近郊のエステルゴム(Esztergom)へ。そんなに久しぶりでないと思い込んでいたら、約1年ぶりの訪問だった。


ハンガリー・カトリック教会の総本山でもある大聖堂に始まり、

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ローマ教皇より戴冠される初代国王イシュトヴァーン1世の像
 
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そして、ドナウ川にかかるマーリア・ヴァレーリア橋(Mária Valéria híd)と、その対岸スロヴァキアのシュトゥーロヴォ(Štúrovo)の街並みの景色を眺めてから、

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橋を渡って上陸し、スーパー「BILLA」で、今回も「コフォラ(Kofola)」を購入。

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なんだかここまでが私の中でもはや定番ルートと化している。


スーパーの中で目に見える文字はスロヴァキア語だけなのに、店内ではスタッフもお客さんもほとんどがハンガリー語を話しているのは、とても不思議な感覚だった。
約100年前までは同じハンガリーだったわけだし、まだハンガリー系の住民も多いのだろう。 

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