ドナウの東か、遥かもっと東から

2016年7月末よりハンガリーのブダペストで生活し、2019年8月末より東京へ。毎日が新しい発見の連続です。

2016年04月

少し前の話になるが、3月の連休中に、生牡蠣にあたってしまった。





食べたのは3月20日日曜日の昼。仲の良い友人らと待ち合わせをして、ランチにオシャレなオイスターバーに行った。昼間からスパークリングワインを飲みながら、近況報告(私は特に前月に行ったブダペストの話)で盛り上がった。楽しい時間はあっという間。夕方前には解散し、それぞれの次の予定へと向かった。


その夜は何も起きなかった。その次の3月21日月曜日(春分の日)の朝も、昼も。
ところが、夕食を済ませた後、そろそろ翌日の準備をしようとしている途中に異変が起きた。なぜだかお腹が痛い。キリキリと痛い。お腹が痛くなることはよくあるけれど、この痛みは何だろう? お腹を押さえながらうずくまった。が、そのうち和らいできたので、特に気にせず眠ることにした。


そして、深夜。激痛で目覚めた。最初、自分の身に何が起きたのか全然わからなかったが、次々と続く症状に、すべて悟った。私は、牡蠣にあたったのだ。


翌日の仕事は休むことにした。痛みには波があり、朝の状態では出勤できそうな気もしたが、通勤の満員電車に耐えられる自信はなかった。それに、途中で降りて休めたとしても、また電車に乗れるかどうかもわからない。そんなことを考えていたら、またお腹が痛くなった。そしてお昼くらいになって、「休む」という選択が間違っていないことを確信する。


結局なかなか症状が落ち着かなかったので、その翌日も休んだ。3連休にプラスして、火曜日、水曜日と合計して5連休になってしまった。残り少ない貴重な有休もまた減ってしまった。


さすがに以来、生牡蠣どころか牡蠣フライさえ口にしていない。本当に厄介なのは、食べている時にも当日にもわからないことである。潜伏期間を経て、まさかというタイミングでそれはやってくる。今までだってあたったことなんてなかったが、これからもあたることはないという保証もない。


あと2時間で4月が終わる。牡蠣は「R」の付くシーズンに食べるとよいと聞く。4月は「April」だけど5月は「May」。シーズンは9月「September」までおやすみだ。実際は食中毒とは関係なく、単に牡蠣が美味しいとされるシーズンの目安のようだ。
それでもあの惨劇を繰り返さないためにも、しばらくは自粛。でも年内に牡蠣フライは食べたいな。生牡蠣はもう食べられなくてもいいから。


あれ? そういえば、ブダペストでは牡蠣食べられるのかな?


前の職場で、定時過ぎてからうっかり「これから美容院(びよういん)に行ってきます」と言ってしまったところ、「病院(びょういん)に行ってきます」と伝わってしまったことがあり、「通院しているんですか?」と無駄な心配をかけてしまって以来、美容院に行くことをいちいち人に言わないことにしている。


それでも髪質のせいなのだろうか? セミロングでパーマをかけている私の髪は日によって状態がバラバラで、「昨日美容院行きました?」と質問されることが多々ある。
ウエーブが強く出る日もあれば、ストレートパーマをかけたように真っ直ぐになる日もある。寝グセでうまくニュアンスを出せる日もあれば、寝グセにしかならない日もある。また、ウエーブが出る度合いによって長く見える日あれば、短く見える日もある。
だから、そう質問される時はだいたい行っていない時だ。質問されるたびに、質問させてしまったことを申し訳なく思ったりする。


話はそれたが、3月にブダペストから戻ってきてすぐ美容院に行ったら、いつもお願いしている美容師さんが退職することになってしまっていた。その後もそのまま同じ美容院で他の美容師さんにお願いしても良いのだが、引越したためにその美容院からも遠くなってしまった。休日にわざわざ通うのも大変なので、近場で別のところを探した方が良さそうである。


髪が伸びてきて、だんだん扱いにくくなってきている。それにしても新しく美容院を探すのって本当にエネルギーが要る。
だって、街にはコンビニの数より多くあふれていると言われている美容院の中から、たったひとつに決めるなんてなかなか難しいのだもの。
うん、結局いつもの美容院に行ってしまうことになるかもしれない。
でも、そうこうしているうちにまたブダペストの生活も始まる。そうしたら、ブダペストでも美容院を探さなければならない。まあ、その前にハンガリー語をそれなりに習得する必要があるのだけど。


結論は、先延ばしだ。


※写真と本文は、今回も無関係である。











最初に説明しておくけれど、これは2010年1月に撮影した写真であって、今現在の出来事ではない。
現在はiPhone6sを愛用しているが、当時愛用していたのはこちらのiPhone3G。「愛用していた」はずなのに、こんな酷い目に遭わせてしまったのだった。


その夜、私は酔っていた。当時の同僚たちと3人で職場近くのワインバーで「紅白歌合戦」と冗談を言い合いながら、赤ワインと白ワインを交互にボトルを開け続けていた。確かワインバーは二次会で入ったお店で、その前もどこか別の居酒屋で飲んでいた。当然、テーブルに空のボトルが並ぶ頃には3人ともぐでんぐでんになっていた。
翌日は土曜日で会社はお休みだったはずだ。タクシーに乗って家に帰る途中、近くのコンビニで降ろしてもらって買い物を済ませた。そして歩いている途中に、事件は起きた。


私は、手に持っていたiPhone3Gを地面に叩き付けるように落としていた。うっかり落としたのではない。文字通り「叩き付け」ていた。気づいたのは落ちたそれを拾い上げて、ダイナミックにひび割れた画面を見てからだ。今でもあの時どうしてこのような行為に及んだのかは全くわからない。酔いが原因だったとはいえ、タクシーを降りて、料金を払い、コンビニで買い物(たぶん翌日の朝食用のパンやドリンクだったと思う)を済ませて、家に向かって歩く、までは冷静に行動していた、はずだ。
それが、気づくとiPhone3Gの画面を叩き割っていた。


ひび割れていても操作は問題なくできていたので、週末はそのまま過ごしていたのだが、月曜日になって職場に行って改めてその画面を見ていたら、この状態のまま使い続けるのはいち社会人としてどうかと思い始め、同僚たちからも「いずれにしてもこれ以上ひび割れが進んだらケガなどが危ない」と修理を勧められたので、iPhoneのサポートページを見たところ、当時は「画面だけの修理」は受け付けていなくて、「実機との交換」となり、しかも20,000円ほどかかるとのことだった。
結局ネットで画面だけを修理してもらえるお店を見つけて、それでも12,000円ほどですっかり綺麗なものに取り替えてもらった。


その後、4S、5sと2年ごとに機種変更し、去年の年末くらいから6sを使い始めているのだが、今でも初代の3Gは手元にある。先日ふとパソコンのフォルダを整理したところ、この写真を見つけた。本当に今でも私自身、あの日の行動の原因・理由ともによくわかっていない。ただよくよく思い返してみれば、アラサーのあの頃はいろいろと抱え込んでいたので、それらがワインの酔いも手伝って爆発してしまったからだ、と考えている。


あれからもう6年が経っている。同じ過ちは絶対に繰り返さない。自分への戒めのためにも、時々この写真を見返してみることにする。



 

まだまだ週の半ばだというのに、何故だか既に燃え尽きてしまった感じがある。




というわけで、「モンスターエナジー(Monster Energy)」に助けを求めてみた。
それもゼロカロリー・ゼロシュガーの「モンスター アブソリュートリー ゼロ(Monster Absolutely Zero)の方。エナジードリンクでゼロカロリーって、とっても画期的だし万年ダイエット中の身としても嬉しいのだけど、やっぱり体にあまり良くないかもなぁなんて、ちょっとだけ思ったりもしながら完飲。


ちなみにエナジードリンクの「レッドブル(Red Bull)」の販売会社がオーストラリアの会社だってことを知ったのは、結構最近のこと。


金曜日は「昭和の日」で祝日なので、なんとか明日を乗り越えよう。
あと1日頑張れば、三連休なんだ。


経営コンサルタントの大前研一氏の名言の中で、私自身非常に感銘を受けたものがある。


"人間が変わる方法は3つしかない。
 時間配分を変える。
 住む場所を変える。
 つきあう人を変える。
 この3つの要素でしか人間は変わらない。
 最も無意味なのは「決意を新たにする」ことだ。"


前住んでいた街に引越してきたのは、この名言を知った1ヶ月後のことだった。




2年半程前のその時、私はどうしても自分を変えたかった。そのうちここで詳しく書こうと思っているのだけど、とにかくくすぶっていた。強引にでも自分を変える必要があったのだった。
そこで、「住む場所を変える」というのを実行してみたのだった。
 

よくよく冷静に考えてみたら、1つ目の「時間配分を変える」が一番実行しやすいし、大前氏も"どれかひとつだけ選ぶとしたら、「時間配分を変えること」が最も効果的"と提唱しているとのことだ。
確かに、一時期(今もなのか?)「朝活」がブームになったように、朝型の生活に切り替えて、その分ウォーキングやジョギングに励んだり、勉強やセミナー通いで自己啓発に励むことによって、変えられるものも多いと思われる。私も前職時代、始業前の朝8:00〜8:45の45分間マンツーマンの英会話レッスンに帰っていた頃があった。だけど、長続きしなかった。それに、やっぱりどうせだったら、その分遅くまで寝てたかったのだもの。
朝型の生活に変える以外にも、「時間配分を変える」方法はあるとはわかっているが、サラリーマンの私自身は平日のスケジュールはほぼ仕事の予定で左右されるし、せいぜい土日で変えていくしかなかった。


ちなみに、3つ目の「つきあう人を変える」は、一番実行しにくいと感じていた。まず自分の血の繋がった家族は変えられない。友達や恋人や配偶者だって、余程のことがない限り変えられない(しかもできれば「余程のこと」はないことが望ましい)。職場の人間関係も(異動や転勤、または転職をしない限り)は変えにくい。「つきあう人を変える」には、自分の意志だけではどうにもならないのだ。そもそも「つきあう人」というのはその相手の意志もあるのだから。


そう考えると、当時の私がすぐに実行に移せたのは、「住む場所を変える」ことだった。幸運にもそう決めた1週間後には納得のいく物件も見つかり、その数週間後には新しい部屋でのスタートを切っていた。


「住む場所を変える」ことで、自動的に「時間配分」も変わった。通勤時間がぐっと縮まったのも大きい。目が覚めてから出かけるまでにゆっくり朝食を取ったり、細々とした家事を済ませたり、お弁当を作ってみたり、毎朝ゆとりのある時間を過ごせるようになった。帰宅時間も早まったので、近くのスーパーで食材を買って少し手の込んだ夕食を作ったり、DVDを観たり、習い事に通ったり、TOEICの勉強に励んだり、ゆっくりお風呂に浸かってリラックスできるようになった。
そのうち、自動的にとはいわないまでも、自然に「つきあう人」も変わった。ちょうどその頃仲良くなった友達が、偶然近所に住んでいた。友達兄妹も近くに住んでいたので彼らを通じて新しい飲み仲間もできた。引越したことで、会いやすくなった人たちもいた。もちろん、疎遠になった人たちもいたのだが。
いつの間にか毎日は、充実してキラキラ輝いたものに変わっていた。


そのうちあるきっかけで、ブダペストでの生活開始を決意することになった。ちょうどその頃近所の工事の騒音がひどくなり、更新の時期になって、日本での住まいも一旦変えた。「東京通勤事情 vol.1」で書いたように毎日通勤地獄に悩まされるようになったし、何より1日のうちで「通勤」が占める時間が増えたし、そのせいで平日の夜はなかなか友達にも会いにくくなった。ただし、これらは小さな変化でしかないと思っている。何より私自身が「今」大きく変わろうとしていないからだ。


大きく変わるのは「これから」なのだ。ブダペストに引越してからだ。前住んでいたあの部屋での生活での変化よりも、明らかに遥かに大きな変化が待ち受けている。
そしてその変化の結果、さらに充実してキラキラ輝いた人生となるかどうかは、私自身にかかっている。そう、そうなるように私自身が変えていくしかない。





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