ドナウの東か、遥かもっと東から

2016年7月末よりハンガリーのブダペストで生活し、2019年8月末より東京へ。毎日が新しい発見の連続です。

2016年7月末よりハンガリーのブダペスト(=ドナウの東)で生活し、2019年8月末より東京(=遥かもっと東)へ。
日々の出来事をときどき交えながら、ハンガリーや周辺諸国のグルメ、観光情報などをご紹介しています。

「ハンガリー征服定住の記念碑(Honfoglalási emlékmű)」を後にし、滞在先のウジホロド(Ужгород)に戻る途中。セレドニェ(Середнє)という小さな町に「セレドニャンスキー城(Середня́нський за́мок)」という古城があることをガイドブックで見つけたので、さっそく足を運んでみた。


ナビに従って無事に到着。しっかりポケストップにもなっていた。

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そして、なぜか敷地内にがいた。

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この城は、おそらく13世紀の初め頃にテンプル騎士団によって建設されたとされている。

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その後16世紀初めにドボー家の所有に、17世紀にはラーコーツィ家の所有となり、ウジホロドリヴィウ(Львів)を繋ぐ道において、重要な交易の要所しての役割を果たしていたようだ。
 
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しかしながら18世紀の初め、当時のハンガリーの大貴族ラーコーツィ・フェレンツ2世(II. Rákóczi Ferenc)がハプスブルク家の支配に対して独立戦争を指導し、失敗に終わって以降廃墟となり、以後現在に到るまで再建の計画はないとのことだ。

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まるで、当時のままで時間が止まっているかのような穏やかな空気に満ちていた。


で、敷地内にはてっきり友人と私2人だけだと思い込んでいたのだけど、物陰から突然ひょっこり8歳くらいの少年が現れた。あまりに急に出現したし、友人の方が近くにいたのに少年に気づかない様子だったので、もしかして幻覚かも?と思った。でも思い切って「こんにちは」と声をかけてみたら、ちゃんと返事をしてくれた。アジア人が珍しいのか、とても興味深そうな様子だった。ただ、「日本人です」としか言えず、その後彼が何を言ったのかは全然わからなかった。そのうち自転車に乗った小さな少女がやってきて、「妹だよ」と教えてくれて、彼女と一緒に立ち去っていった。

たぶん幻覚ではなく、実在の少年(と少女)だったのだと信じている。
 

<前編>はこちら


「ハンガリー征服定住の記念碑(Honfoglalási emlékmű)」前編で拙いながらも表現したようにそれはそれはとても素晴らしい場所だったので、動画も撮ってみた。





実際の眺めは動画以上に素晴らしくて、思わず涙しそうになるくらいだった。のだけど。

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そこに到達するまでの車道が、かつて経験したことのないほどの悪路だった。

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もう、デコボコというのを通し越していた。私の中での「悪路」の定義が覆された。

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ちなみにこの道、幹線道路なのだ。あまりにこの状況を誰かと共有したくて、こちらも動画を撮ってみた。



山の麓の方には道路沿いに住宅地もあった。ここに住む人々はどれだけ大変な生活をしているのだろう、なんてあれこれ考えたりもした。


そして私のウクライナ・ザカルパッチャ地方旅行は、まだまだ続くのだった。

今回訪問したウクライナ・ザカルパッチャ州は、約100年前まではハンガリー領だった場所。さらに遡って895年、アールパードが率いる7つの部族がカルパチア山脈のヴェレツキ峠(Вере́цький перевал)に到達し、カルパチア盆地内に定住したことにちなんだ「ハンガリー征服定住の記念碑(Honfoglalási emlékmű)」を目指し、滞在先のウジホロドを朝早くに出発して車で向かった。


ナビに従って国道を走って約1時間半後、ちょっとした異変に気付いた。道が悪い。デコボコになっている、というレベルではない。もう何年も舗装していないと思われるほどの酷い状態で、池のように大きな水溜りができている箇所も何箇所もあって、私の中での「悪路」の定義が激しく下方修正された。
本当に目的地に到達できるのか、かなり不安になりながら先を進むと対向車線にハンガリーナンバーの車が停車しているのが見えた。こちらも車を停めて話しかけると、50代前半と思われる夫婦で、ちょうど記念碑からの帰り道とのこと。この先に十字架のモニュメントがあって、その左側の道を行けばすぐだと教えてくれた。そして、「道はこれ以上には良くならないよ」と笑顔で見送ってくれた。


で、その十字架のモニュメントがあったことに気づかず、ナビに従って右側の道を進んだら、

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案の定迷ってしまったので、もう一度引き返してやり直し。

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ちゃんと左側の道を進みながらも、あまりの道の細さ(と酷さ)に不安になりながらしばらくすると、

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視線の向こうに記念碑を発見。無事に到着した。

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記念碑はもともと征服定住から1000年を記念して1896年に設置された。1920年にチェコ・スロヴァキア領に編入されてからもしばらくは残っていたが、20世紀半ばに破壊されてしまった。そして、1100年を記念した1996年に彫刻家のマトル・ペーテル(Matl Péter)が製作した記念碑も、ウクライナの国粋主義者たちによって破壊されてしまったのだという。しかしながら2008年、ハンガリーからの25万フォリントの寄付金により再び製作され、マトル氏の当初のプラン通りに完成。それから約10年、この地に堂々と佇んでいる。

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征服定住の際の7つの部族をモチーフにした門の形になっていて、いたるところに学校やロータリークラブなどハンガリー人団体によるリースなどが添えられていた。

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こんなに行きにくい場所に位置しているのに訪れるほど、ハンガリーの人々にとってとても大切な場所であることを実感した。ちなみに記念碑のすぐそばには休憩ができる東屋もあった。

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記念碑の付近を歩きながら、かつてアールパードが目にしたであろう景色を独占。
 
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大自然に囲まれた澄んだ空気の中、ひとつの国が始まるきっかけとなった場所に立っていることにロマンを感じ、 なんだか胸がいっぱいになった。


行きはよいよい、帰りは・・・?!ということで、<後編>につづく!

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