ドナウの東か、遥かもっと東から

2016年7月からハンガリーのブダペストでの生活を始めました。毎日が新しい発見の連続です。

早稲田大学在学中に交換留学で1年間ドイツのライプツィヒ大学に留学。
卒業後はドイツ系→入社3年目でアメリカ系に買収→日系広告代理店→半年間のブランク→日系外食産業を経て、2016年夏ハンガリーのブダペストで新生活を始めました。
日々の出来事をときどき交えながら、ハンガリーや周辺諸国のグルメ、観光情報などをご紹介しています。

自然派&無添加石鹸AROMATICIA(アロマティシア)さんのページでの連載コラム、18回目の今回は「ブショーヤーラーシュがある生活」がテーマ。


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今年もこのお祭りを見に、ハンガリー南部のモハーチ(Mohács)に行ってきました。
それにしても、見れば見るほどなまはげにそっくり!

バータセーク(Bátaszék)を後にして西へと向かい、次なる目的地シゲトヴァール(Szigetvár)に到着。「シゲト(sziget)」というのは「島」、そして「ヴァール(vár)」というのは「城、要塞」の意味。かつてこの辺りは湿地帯となっており、その島のようになっている土地に要塞が建てられた。


要塞はここで1566年オスマン帝国軍と戦ったクロアチアの将軍ズリンスキ(Zrinski、ハンガリー語ではズリーニ(Zrínyi))の名を取り、「シゲトヴァーリ・ズリーニ・ヴァール(Szigetvári Zrínyi Vár)」とも呼ばれている。車を停めて、入口を探した。

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もしこの地を訪れる方がいらっしゃったら、↑のモニュメントから見て左手に進んでいただきたい。私自身は適当に歩けば着くだろうと思って城壁沿いを右手に進んだところ、

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公園のようになっているだだっ広い敷地にどこまでも城壁が続いており、結局その周りをぐるりと一周してしまったところで、逆方向に歩いていたことに気づいた。良い運動になった。

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入口入って右手のチケット売場でチケットを購入し、構内へ。城壁に登ることができて、全体の景色を見ながら歩いた。

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1566年8月6日にこの要塞に攻めてきたのは、オスマン帝国のスレイマン1世(Kanuni Sultan Süleyman Ⅰ)。彼が率いる80,000人ものトルコ軍に対し、ズリンスキ将軍は2,500人のクロアチア兵およびハンガリー兵とともに応戦した。

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勇敢に戦い抜いたものの、9月7日にあえなく要塞は陥落。スレイマン1世もズリンスキ将軍も命を落とした。以後1689年までオスマン帝国の支配下となる。


敷地内には、オスマン帝国時代のモスクの建物の遺跡が残っており、そこに博物館が隣接していた。

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一瞬壁が剥げ落ちているのかと思いかけたけど、そうではなくて遺跡を復元する形で建てられている。

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中には礼拝堂もあった。

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ちなみに隣接する博物館はこの窓の向こうにあり、戦いの歴史や当時の武器や生活用品の展示を見ることができる。


要塞跡から車で5分くらいの場所に、1994年にオープンした「ハンガリー・トルコ友好記念公演(Magyar-Török Barátság Park)」があるとのことなので、そちらにも立ち寄ってみた。

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こちらは誰でも入れるようで、地元の人とおぼしき家族連れが何組か普通に散歩していた。


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ひときわ存在感を放っている大きな石には、トルコ語、ハンガリー語、英語、クロアチア語の4ヶ国語で説明書きがある。

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そして中央には、ズリンスキ将軍とスレイマン1世の像が仲良く並んでいた。

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説明書きにもあったが、2016年は両者の没後450年を記念して、トルコのエルドアン大統領の名のもとにリノベーションが行われたらしい。

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ところで、2015年からの発掘調査により、スレイマン1世の心臓および臓器がシゲトヴァールのあたりに埋葬されていることが判明したそうだ。戦いの最中は、彼の死去後も兵士の士気を下げないために遺体にエンバーミング処置が施され、あたかも生きているかのように見せていたらしい。その後遺体は埋葬のためにイスタンブールに送られたが、心臓と臓器は特別な器に入れられて最期の地に葬られたとのことで、既にそれらしき廟の遺跡が確認されたとのこと。ハンガリー語の記事によると、遺品の多くは盗難されてしまっているようだが、そう遠くないうちに全容が解明されるかもしれない。
そう考えると、今からワクワクしてきた。

所用でハンガリーの南部の方へ。途中バータセーク(Bátaszék)という小さな町に立ち寄った。



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和訳すると「聖母被昇天ローマ・カトリック教区教会」という感じかな。高い尖塔が見事な建物だ。ハンガリー最初のシトー修道会の教会で、1142年に設立されたとのこと。オスマン帝国支配下時代には、150年もの間この地に城が置かれていたらしい。
そして、1995年から2001年にかけて敷地内の遺跡の復元が行われており、歴史の深さを一層感じた。

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そこから1kmほど離れた場所には、「カルヴァーリア・カーポルナ(Kálvária Kápolna)」という18世紀前半に設立された教会があった。

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外壁がだいぶ傷んでいて、廃墟のようになってしまっていた。

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今はほとんど使われていないと思われる。

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外側の階段を途中まで登ることができたが、かなりの痛みようだった。それでも現役時代はさぞかし美しかったのだろうと思われる、風格を感じた。個人的にはこういう廃墟のような、修復されていないままの建造物が好きだ。


そのまま次の目的地まで車で移動。マニュアル車&左ハンドル&右側通行の運転にも少しずつ慣れてきたとはいえ、まだまだ不安要素は多い。まあ、地方だと車も都市部ほどは多くないので、多少下手くそな運転でもなんとかなるのはとてもありがたい。

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